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こっちはラカン


   にほんブログ村 現在 57位    士業  (弁護士、会計士等)   現在 15位ポストモダンの共産主義    はじめは悲劇として、二度めは笑劇として   スラヴォイ・ジジェク最近まで読んできた本に、ちょくちょく出ていたので名前だけは知っていたジジェクなのだが、これは正しくコミュニズム系のタイトルであるし、ジジェクはバリバリのマルクス主義者であることはこれを読むだけでも知れる。この本が新しいのは、マルチチュードあたりでも既に5年前の本で、アメリカのイラク制圧あたりが主題となるのだが、「ポストモダンの共産主義」は、2年前の世界金融危機後を捉えて語っているので、その点で現在性のただ中にあると言える。まぁ、要するに、1990年にソビエト崩壊で社会主義、共産主義は終焉し、バラ色の資本主義の時代であったはずなのであるが、2年前の金融危機が示したものは、リベラル民主主義、資本主義も破綻しているのだ、ということである。そこで再びマルクスから始める〈新しい共産主義〉を理論構築していくということのようだ。書評には「今こそ資本主義イデオロギーの虚妄を白日の下にさらし、世界を真に変革へ導く行動原理を、新しいコミュニズムを語るべきだ。ジジェクが、この10年の混迷を分析。21世紀を生き抜くための新しい革命思想を問う。」とあるのだが、その全く新しいコミュニズムとは言いつつ、共産主義者レーニンが登山のアナロジーで語った言質でもって、「登頂に失敗したとしても、再び上り始めるのは同じく麓から」であり登頂にしくじったとしても、いかに巧く負けるか、そして再び同じ地点からのスタート、と言っているので、書評にはやや誇張があると思っていい。さて、ジジェクのプロフィールを読んでて、スロベニア生まれって、スロベニアはどこの国なのか? と思ってた。旧ユーゴスラビア連邦の一国で、ソ連崩壊後の東側共産主義国の一連の独立の中で誕生している。クロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナはなんとなく知っていたのではあるが、その隣国ということである。そうした国の資本主義化にあって、政治においてもリベラルや原理主義など〈イデオロギー〉の対立の中で様々な事柄を見聞きしていただろうことは想像できる。そうした意味も含めて、ジジェクは実践派であり時代への感応の早さというのは、そうした生きる経験によっているのに違いない。まぁ、だからということでもないのだが、ネグリのようにロマン主義ではない。というか、ジジェクがこの本の中でネグリ等をやや批判っぽく書いているのだが、ヘーゲルを極力排除してカントの図式化に堕しないよう、マキァヴェッリを踏襲したスピノザを引用した概念としての〈マルチチュード〉、には〈スピノザの愛〉というロマンを見てとっているのだ。その〈愛〉だけでは足りない、新たな〈イデオロギー〉を起てることが〈ポストモダンの共産主義〉なのである。そしてこのポストモダンというのも、それこそ1990年以前の思想的潮流のことではなくて、歴史の終焉が言われてからの現代、の次である今を言っているようである。まぁ、ポストモダンの命名者であるリオタールには多少触れていることからも、その〈時代〉のモダンとはサルトルの〈時代〉としての現代であったものを、社会主義国家の崩壊後の資本主義国家の破綻までを新たに現代と意味づけて、そのポストとしての今に再びマルクス主義からやり直す、ということである。まぁ、中国の資本主義化のことや関連してマオイズムについても書いているが、端折って、新たな知の囲い込み(エンクロージャー)によって、いわゆる生命特許をある特定の営利団体、会社組織が独占する現在の危機について触れているのであるが、これはマルチチュードでネグリが言っていたことでもある。これについては、ジジェクも賛同しているのであるが、これは例えば、ある特殊な病気の患者に由来するDNAの形態を、その個人のものとする特許ではなくて、それを発見した研究チームのものとして、しかもその研究チームの所属が営利を目的とするバイオビジネスの企業において特許として登録されることに対する懸念である。個人由来のものであるにも係わらず、その患者は特権的にではなく、通常の患者と代わらず、それ以上に特殊な治療を受けるため高額な医療費を支払わされる矛盾のような現状のことである。ここに一つのヒントとして、そうした公共性における治療法という知識が、特定人あるいは特定の団体が独占するという知的財産権として確立している資本主義の根幹に対する告発である。そうした公共性において公共的に享有されるべき知識については、特許というシステムではなく公共物としての管理が妥当だとする見方なのである。これが、ジジェクの思考する〈新しい共産主義〉の一つの根である。そして、ジジェクがある意味でシニシストである所以であるラカン派(フロイトの大義派)でもあるところから導かれる線は、やはり公共性という〈大文字の他者〉である。この本ではあまりラカンの影を見ることはできないが、概念的に用語だけはパラパラと使ってはいる。まぁ、それに留まるだけではあるが、そうした遺産やラカン的な方法は使われているような気もする。例えば、詳細はしないがリベラルと原理主義を横軸に、ポピュリズムとエリーティズムを縦軸にしたポジショニング・チャートを作り、極右、極左的な立場でもそれが大衆的か先鋭的かでまた構造が違ってくる、というような4つのパターン化で表現というか論証していたりするからである。まぁ、兎も角も、2年も経たない早い段階でスロベニアの哲学者の翻訳を読むことができるというのも、日本においてグローバル化の僅かしかない利点のひとつであろう。日本において現状、哲学書のような本はそれほど売れないだろうし、ましていきなり文庫本形態で出てくるというのも経営的にはメリットが少ないわけで、このスピードで翻訳書が出たことだけでも奇跡のようにも思える。まぁ、知の拡散においても、公共性を優先順位として私的な財産蓄積を目論まずになされたこと、というべきか。ただ、世界金融危機を共産主義の好機ととらえて、まさにイデオローグするためという野心も無くはないだろう。なぜならば、同じような速さで、リベラリスト的な扇動者の危機に付け入るやり方も後を絶たないからである。その防止あるいは抑止として、また真の対処療法として〈ポストモダンのコミュニズム〉は要請されるはずだからである。グゥーーーー
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