六本木NO1の宮浦瞳伝説

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六本木NO1の宮浦瞳伝説

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昭和60年に宮浦瞳さんのお店があり、私は当初はマネジャーから始めました。

その頃は不況の時代で街は閑散としてましたが、私の入店を祝ってくれたのが

ママでした、私はその美貌に惚れた訳ではありません。

私が惚れたのは心です、そして頑張る私に「松山、望みを1つだけ言いなさい」と

言われ私は友人の勤める店にお客さんの食事会を薦めて下さいと言いました

ママは「松山、友情ね」と言って、そこでお食事したら「当店でお酒を呑んで下さい」

この様に控えめにお客さんに言葉を添えてくれました、私はその言葉が嬉しかった

それを切っ掛けに店にお客さんが押し掛ける様に、待合室が混雑して大変だった。

私とママとマスターとホステス5人を面倒を見るのは至難の業でした。

店は9卓あって3人掛けのボックス席で、それが1日3回転するのです。

ウェーターも使っているのが面倒で辞めて貰い、私が一人で動いた方が早いので

兼務し、ショーの照明係も行い、レジ、講習、買い出し、掃除、を行い裏方は

全部、私が仕切ってママやマスターはお客さんの接待をしていれば好いと言って

ショーは照明と音響だけ行い後は、その繰り返しで汗では無く脱水症状です。

体重が50キロに減った辺りから可笑しいなと思っていたのですが、なんと3ヶ月で

体重が20キロ減で元あった体重が65キロですから20キロ減で45キロで、

家族会議が起こって親族会議に発展して、店長になって2年で退職に追い込まれて

しまい母の意見と親族の意見が一致して病院に一ヶ月に置いて点滴を毎日して

食事は看護婦に食べさせて貰ってた位に働きました。

昭和60年と言えば不況本番の年でした、この時に座って3万円のお店を切り盛り

して、超満員にしてた、3兄弟と思っていれば間違い無いでしょう。

花は マサコ
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