幅広い知識が必要なんじゃないだろうか・・・
研究者のようにひとつの分野を勉強しつづけるのと、広く浅く、いろんなぶんやの勉強をするという二つのパターンがあった場合、どちらをやればいいのだろう・・・。
今日、ふとそんなことを考えた。
結論からいうと、オレの場合は広く浅くのほうがいいんじゃないか、と思えてきた。
なぜかというと、そのほうがお得だからとしかいいようがない。
ちょっと変な感じになるけど、例えばの話。
昨日、男数人で飲んだ時の事。その時の話題が、ゲームとパチンコの事だった。
残念ながら、オレはそのゲームもパチンコもそんなに得意じゃなく、あまり詳しくなかったので、引き出しが少なく、あまり面白いことを言えなかった。
もうちょっとみんなと同じようなことに詳しくならなきゃなと思うのと同時に、いろんな知識をもってると、話の話題がつきない。つまり、面白い。
車という分野ひとつにとっても、おもいっきりマニアックなフェラーリがどうたらこうたら、よりもヴィッツのこのパーツがどうとか、フィットやプリウスの話題のほうが盛り上がるにきまってる。
友達が女の子を誘ってるとき、女の子は「他に女の子がいないんじゃちょっと・・・」と言っていたらしい。でもその気持がめちゃくちゃわかった。
確かに、この状況で一人は確かにつらい。
逆の立場だと仮定して、(そんなことは100パーありえないけど)女の子の中に一人行けと言われたら、ちょっと困るもんな。
それがものすごく話が俺好みだったらなんとか大丈夫かもしれないけど。
脳科学の本を読んでると、男よりも女の子のほうが実は理論的で、総合的に判断するらしい。
だからきっとその女の子は、きっとこうなることをすでに予想して来なかったんだろうな。
自分の頭の引き出しの中にものすごいお宝のような情報があったとしたって、興味がなかったり知識がなかったりしたら、ただのひとりごと。
つまり、その事がすごいとおもったり、価値のある物だと判断するにもある程度の知識が必要なんだな。と思った。
もっと簡単に言うと、ゲームで伝説の剣を一時間で手に入れたという話があったとして、普通だったら、すげーーーってなるけど、まったくゲームをやったことのない人にはすごいのかどうかがわからない。そもそも何時間かかるとか、それすらわからない。
だから、結局一般的にはやってるものや、流行にはもうちょっと敏感になろうと、そう思った。
話題性として。
ただ、オレの本当に好きなのはその逆で、他の人が知らないような情報を知ったり、あまり知られていないことを自分のヒラメキで発想したりするほうが好きだ。
だからまあ、少ない自分の時間をどう使うかを考えた時に、そうやって話題性の為にはやりをおさえるのと、自分の趣味としての時間を4対6ぐらいの割合で使ってったほうがいいな。
と、思った。