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八橋かきつばた園と在原業平、芭蕉 2
八橋かきつばた園と在原業平、芭蕉 2 2010年05月11日
八橋かきつばた園 在原業平 芭蕉、杜若姫伝説:愛知県知立市八橋町の県史跡・無量寿寺の「八橋かきつばた園」で、3万本のカキツバタが見ごろになった。
八橋かきつばた園付近に平安時代の歌人・在原業平が立ち寄り、カキツバタの歌を詠んだと伝えられ、境内の大小16の池に約3万株が植えられており、鮮やかに咲いていた。
今年の開花は例年よりやや遅れたものの、ようやく満開となり、今月下旬まで楽しめそう。
26日まで「かきつばたまつり」が催され、期間中は午後9時までライトアップされる。
中には白いものもあり、探すと面白い花が見られます。今日は大正琴の演奏をされて、昔ながらの風情を感じていました。名物は八橋と大あんまきがあります。ほとんど売り切れんばかりでした。1号線からは江戸時代からある旧の東海道の風情のある松林を抜けて、しばらく行くとあります。電車の駅からも近く便利な立地です。
最近立てられた像と在原業平の句碑にほられている字はこうです。
八橋の蜘蛛手に流れる沢のほとりにかきつ
ばたが美しく咲いているのを見て、かきつば
たの五文字を句の上にすえて、都に残してき
た妻や子を偲び。
から衣きつつなれにしつまあれば
はるばるきぬるたびをしぞおもう
と詠まれました。・・・・
八橋かきつばた園
平安時代の歌人在原業平が「かきつばた」の5文字を句頭に入れて歌を詠んだ八橋は、伊勢物語の昔から広く知られるカキツバタの名勝地です。敷地13,000m2の庭園内には3万本が生息し、5,000m2の池一面に咲きそろう5月初旬が見頃です。
『杜若姫伝説』 (業平を慕って京からこの地へきたが、業平の心を知って逢妻川へ身を投げた)
謡曲「杜若」と業平の和歌
謡曲「杜若」(かきつばた)は、在原業平が都から東げ下る途中、三河国八橋で美しく咲く杜若を見て都に残した妻を偲び「かきつばた」の五文字を句の頭に置いて
「唐衣 きつつなれにし 妻しあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思う」
と詠んだと書かれている伊勢物語を典拠にして作曲されたものである。
東国行脚の旅僧の前に、業平によって詠まれた杜若の精が女の姿で現れ、伊勢物語の故事を語り、業平の冠と高子の后の唐衣を身につけて舞い、業平を歌舞の菩薩の化身として賛美しばがら杜若の精もその詠歌によって成仏し得たことをよろこぶという雅趣豊かな名曲である。
芭蕉の句
かきつばた 我に発句の おもひあり
芭蕉が貞亨元年(1684)に『野ざらし紀行』を終え翌年4月上旬木曽路を経て帰庵の途、鳴海(愛知県)の俳人下郷(しもさと)知足の家に泊り俳筵(はいえん)を開いた時の作といわれる。
芭蕉は知足の案内でこの旧蹟八橋に遊んで懐古にふけったのであろうか。
心字池
この庭園は、寺の再興者であった方厳売茶和尚が文政年間(1818~29)に、以前よりここにあった池や庭を茶庭風に改造したものと思われる。
庫裡前の杜若(カキツバタ)池を中心とし、一の段から四の段まで生け垣で区切られ、人の影を見ることなく杜若を眺めながら回れる回遊式庭園となっている。また正面遠景には岡崎の村積山、近景には逢妻川(あいづまがわ)の清流を借景として取り入れている。生け垣には赤目樫・山茶花が植えられ美しく刈り込まれている。
八橋かきつばた園 在原業平 芭蕉、杜若姫伝説:愛知県知立市八橋町の県史跡・無量寿寺の「八橋かきつばた園」で、3万本のカキツバタが見ごろになった。
八橋かきつばた園付近に平安時代の歌人・在原業平が立ち寄り、カキツバタの歌を詠んだと伝えられ、境内の大小16の池に約3万株が植えられており、鮮やかに咲いていた。
今年の開花は例年よりやや遅れたものの、ようやく満開となり、今月下旬まで楽しめそう。
26日まで「かきつばたまつり」が催され、期間中は午後9時までライトアップされる。
中には白いものもあり、探すと面白い花が見られます。今日は大正琴の演奏をされて、昔ながらの風情を感じていました。名物は八橋と大あんまきがあります。ほとんど売り切れんばかりでした。1号線からは江戸時代からある旧の東海道の風情のある松林を抜けて、しばらく行くとあります。電車の駅からも近く便利な立地です。
最近立てられた像と在原業平の句碑にほられている字はこうです。
八橋の蜘蛛手に流れる沢のほとりにかきつ
ばたが美しく咲いているのを見て、かきつば
たの五文字を句の上にすえて、都に残してき
た妻や子を偲び。
から衣きつつなれにしつまあれば
はるばるきぬるたびをしぞおもう
と詠まれました。・・・・
八橋かきつばた園
平安時代の歌人在原業平が「かきつばた」の5文字を句頭に入れて歌を詠んだ八橋は、伊勢物語の昔から広く知られるカキツバタの名勝地です。敷地13,000m2の庭園内には3万本が生息し、5,000m2の池一面に咲きそろう5月初旬が見頃です。
『杜若姫伝説』 (業平を慕って京からこの地へきたが、業平の心を知って逢妻川へ身を投げた)
謡曲「杜若」と業平の和歌
謡曲「杜若」(かきつばた)は、在原業平が都から東げ下る途中、三河国八橋で美しく咲く杜若を見て都に残した妻を偲び「かきつばた」の五文字を句の頭に置いて
「唐衣 きつつなれにし 妻しあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思う」
と詠んだと書かれている伊勢物語を典拠にして作曲されたものである。
東国行脚の旅僧の前に、業平によって詠まれた杜若の精が女の姿で現れ、伊勢物語の故事を語り、業平の冠と高子の后の唐衣を身につけて舞い、業平を歌舞の菩薩の化身として賛美しばがら杜若の精もその詠歌によって成仏し得たことをよろこぶという雅趣豊かな名曲である。
芭蕉の句
かきつばた 我に発句の おもひあり
芭蕉が貞亨元年(1684)に『野ざらし紀行』を終え翌年4月上旬木曽路を経て帰庵の途、鳴海(愛知県)の俳人下郷(しもさと)知足の家に泊り俳筵(はいえん)を開いた時の作といわれる。
芭蕉は知足の案内でこの旧蹟八橋に遊んで懐古にふけったのであろうか。
心字池
この庭園は、寺の再興者であった方厳売茶和尚が文政年間(1818~29)に、以前よりここにあった池や庭を茶庭風に改造したものと思われる。
庫裡前の杜若(カキツバタ)池を中心とし、一の段から四の段まで生け垣で区切られ、人の影を見ることなく杜若を眺めながら回れる回遊式庭園となっている。また正面遠景には岡崎の村積山、近景には逢妻川(あいづまがわ)の清流を借景として取り入れている。生け垣には赤目樫・山茶花が植えられ美しく刈り込まれている。
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関連銘柄:
トヨタ自動車(7203) -
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私は今桶狭間の古戦場にいます。
実況生中継です。
風が非常に強いです。
ものすごい音をたてて古戦場祭りの旗がうなっています。
つつじは枯れてしまっています。
かきつばたはかろうじて一束だけ咲いています。
小さな公園で誰も見ていないのに、よく持っていかれないものです。
ご苦労様です。
とうとう、イケメン武将に成りすましていますね。
信長と義元像設置 「近世の曙」桶狭間古戦場に
名古屋城 おもてなし武将隊はとうとう渋谷に登場
13(木)
大なごや祭 in 渋谷 オープニングセレモニー
出陣武将は信長殿、慶次殿、清正殿、立三、お里。
9時45分~10時30分まで
東急百貨店 東急渋谷本店 1階 メインエントランス前にて
おもてなし演武をいたすでござるよー。
14(金)
大なごや祭 in 渋谷 SHIBUYA109 イベント
15(土)
5月15日の出陣! 大なごや祭 in 渋谷 / イオンナゴヤドーム前ショッピングセンターイベント
16(日)
5月16日の出陣! 大なごや祭 in 渋谷 / 桶狭間古戦場まつり
17(月)
大なごや祭 in 渋谷 「愛知三英傑~信長・秀吉・家康~名古屋城とその歴史展」にておもてなし
18(火)
大なごや祭 in 渋谷 「愛知三英傑~信長・秀吉・家康~名古屋城とその歴史展」にておもてなし
19(水)
大なごや祭 in 渋谷 「愛知三英傑~信長・秀吉・家康~名古屋城とその歴史展」にておもてなし
2010年5月11日(読売新聞)
織田信長と今川義元が争った桶狭間の合戦(1560年)から今年で450年になるのを記念して、名古屋市緑区の「桶狭間古戦場保存会」(梶野泉会長)が制作していた信長と義元のブロンズ像が完成し、10日、同区有松町の桶狭間古戦場公園に設置された。・・・・
業平のかきつばたの歌、東京都文京区の小石川後楽園で読んだ記憶があります。
三河がその舞台なのですね。
そちらでは、もう花を付けているのですか。
当地では、かきつばたは6月後半に満開になります。
こんばんは。
そうですね、この歌を見て後から追ってきた姫が夫婦の愛の深さを知って、身を投げたと言う話しはここに来てはじめて知りました。ゆかりのお菓子も出てるようですが、ここではお茶が盛んな西尾に近いのも有ってか、お茶屋さんが店を出し、人気一番のようです。もってかえるのに良いのでしょう。お茶なら値段も手ごろに設定できます。
裏の畑では麦の穂が黄色くなろうとしています。
思わず余所見をしてしまいます。
まだまだ、寒い日が続きます。
花もいつもより1~2週間遅いです。