それは男と女の抜き差しならない恋愛バトルにも似ている。
溺れたら負け。
口説いたら勝ち。
彼女は高嶺の花。
いつも魅力的な笑みをうかべてこちらを誘惑している。
世界中の男を骨抜きにし、ときには破産に追い込んだ魔性の女だ。
対峙するオレは、マーケットいう魑魅魍魎の世界にどっぷり首までつかったチェリーボーイ。
気まぐれな女王様の態度に右往左往し、的外れな行動でご機嫌を損ねさせてしまう。
アンタは、まだ本当の“愛”を知らないのよ。
うまく利益が出なかったとき、彼女は耳元でそう囁きかける。
その言葉は腰の入ったボディブローのように後からジワリと効いてくる。
頭が混乱する。
“愛”って何なんだ?
あまりに抽象的な問いかけである。
損切りのルールも守っているし、チャートのトレンドラインもフォローしている。
なのに勝てない。
オレのやり方の何がいけないんだ。
答えは出ない。
誰も教えちゃくれない。
投資も恋も痛い目に遭わなきゃわからない。
そんなことぐらい百も承知だ。
多くの初心者はその痛みに耐えきれず脱落していく。
表面的なトレードの技術を磨くことに夢中になり、その先にある“愛”に気づかぬまま戦いの土俵から降りていく。
おそらく成功しているトレーダーでトレーディングを愛していない奴なんていないだろう。
たとえば、BNF氏。
彼は病的なまでにマーケットに淫しているように思える。
そのトレーディングにおける混じりけのない愛と情熱は、デルのモニターを叩き壊すという暴挙をいとも簡単にやってのける。
トレーディングに付きまとう精神的苦痛でさえ、マゾヒスティクな快楽になっているのかもしれない。
相場の女神に見初められる為なら、彼はどんな努力も惜しまないはずだ。
株価の動向が気になって、海外旅行にも行くことができないくらいの深い執着。
集中力が途切れるからといって、昼食をカップラーメンですませるほどの拘り。
そのような常軌を逸した献身的な自己犠牲(?)を捧げることによって、BNF氏はマーケットを司る神から多大な恩恵をもたらされることになった。
もはや、フツーの人間には及ばない前人未到の境地に達していると思う。
それは彼の目をみればわかる。
そのまなざしの先は、この世ではなく遠い修羅の国を見据えているかのようだ。
今でこそ秋葉にビルを所有しているが、道を誤っていたら秋葉にトラックで突っ込んでいたかもしれない怖さ、狂気を宿している。
彼は筋金入りのマーケット至上主義者であり、末期症状に達している重度のトレード中毒であり、かたときもザラ場を離れられない、ある意味哀れな囚われの身となっているともいえる。
オレにはあのようなストイックな求道者にはなれそうにもない。
とはいえ、BNF氏のレベルにまで至らずとも、どんな優秀なトレーダーでも最初はビギナーだったはずだ。
フラれるのを怖がっていちゃ恋ができないと同じように、損失を恐れておいては相場にエントリーできない。
敗北の苦しみを味わい、痛めつけられ、耐えつづけ、なおマーケットに惜しみなく愛を注ぐ者にしか相場の女神は微笑えんではくれない。
思うようにリターンが上げられないということは、彼女に好かれていない、すなわち“愛”が足りないということなのだろう。
口説き方が拙いともいえる。
“ヤリたい”だけ、“稼ぎたい”だけじゃ、相手は決してこっちを振り向いてはくれない。
楽をしてモノにしようなどという甘い考えではいつか足元をすくわれる。
つか、すでにすくわれている。
精一杯のエネルギーと努力と敬意を払って、お前が好きだということをアピールしなきゃいけない。
今まで数え切れないくらいの貢物を奉げてきた。
まだ諦めちゃいない。
いつか必ずこちらを振り向かせてみせる。
その願望が叶えられたあかつきには、南フランス、ニースかモナコあたりのビーチで成功者としての美酒を味わっていることだろう。
財布の中身を気にせず、極上のワイン、アッサンブラージの赤とマルセーユの港から直送した新鮮な魚介類盛りだくさんのブイヤベースをオーダーする。
そして、傍らには小麦色の肌をした笑顔のまぶしいあいつがいる。
近い将来、その日が来ることを信じたい。
La Fin