サイコさんのブログ
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パン ア ソニック
士業(弁護士、会計士等) 現在 12位今日の日経平均は、7,433.49円、+142.53円で引け。中国の景気対策期待だって、なんで給付金通ったのが理由でないのか、わけわからん。という前ふりで、今日もナショナリズムについて少し騙ろう。浅羽通明のナショナリズムを読んだ。この人本人は右っぽいのだけれど、ばりばりの国粋主義者というわけではなくて、至って中道としての言論者であることがここで読める。それとサイコが前から言っているように、どんな愚書においても読むべき(反面教師という意味でも)ものはあり、例えば、このブログでもで何度となく言及している赤木論文ひとつ取っても、これを読まなければ丸山眞男をという大前提なしでの騙りとなってしまう危険に気付かされたことには意味があったからである。それでこの本で気になった点を。民族独立行動隊、前へ!の章で、前近代的な軍国主義、ファシズムを克服して日本を近代化するために、「国民」の創成を祈念した(丸山眞男)、とあるのだが、どちらかと言えば、丸山においては、小集団的な政治への「パートタイム参加」であり、「国民」というよりは「市民」を念頭においていた点を読み違えているように思う。ただ後述するが、その当時に一般的にネガティブな意味での「市民」とはブルジョワをさしていたのではあるが、小集団(家、サークル、会社など)という単位を考えると一括りに「国民」とするのには無理がある。また、前近代的庶民を否定しているのではなく、あくまで全体主義に陥いっていく過程としての大正から昭和初期の中での国民に対してであり、丸山においては、江戸末期にあった日本の様式としての「型」にある美学を見ていて、明治維新以後にそのフォルムの崩壊によってもたらされた一連の悲惨として、大東亜戦争時の日本全体主義をとらえ、戦後民主主義においても「逆コース」として、大衆が一機に過熱する政治的態度を懸念さえしていたのであるから。まぁこれは例の赤木論文のネタ本丸山眞男-リベラリストの肖像の読後感でもあるのだけど。しかしまぁ、問答無用の続きみたいになるが、この本で浅羽が香山リカのぷちナショナリズムに触れている箇所があるのだけれど、前にサイコが書いたこととほとんど同じような感慨を浅羽も持っているんだ、と思ってちょっと複雑な思いだ いやー、当然ナショナリズムな本であるから、漫画にも言及してくれば、小林よしのりのゴーセン(戦争論)も取り上げられるのは当然なのだが、かわぐちかいじの沈黙の艦隊を忘れていた。というのは、サイコがその連載されていたリーマン当時に営業さぼって飯屋でこの単行本をずーっと読んでいた懐かしさからなのだ。漫画のエンターテーメント性もさることながら、今思い直せば、カントの恒久世界平和をア・プリオリに後付けしていた漫画でもあって、これは率直に、「国家なきナショナリズム」に近い形態なのではと思う。浅羽はそのあたりを、国家をナショナリズムの前提としているので否定するのではあるが。しかしながら、浅羽はこの本の定義づけとして、明治、大正、昭和と時代の変遷とともにナショナリズムも変容していることを書籍から抜書きしたガイダンス風のものとしているのであるが、この本でも紹介されていて、他でもちょくちょく聞いていた小熊英二のとを、その口車に乗せられて借りてきてしまった。何を後悔しているのかというと、ページ数(966p!)を全く考慮していなかったまま予約してたので、借りる際にその分厚さだけで圧倒されてしまったということなのである。先ほど、定義し辛いナショナリズムを外堀から埋める作業、と評したのだが、それは小熊に対しての賛辞であることと解して欲しい。こちらの本で、先に書いた「市民」とか「愛国」とかの意味あい、ニュアンスがほんの数年の間で変わってしまうので、それを前提として解釈しなければ、その時々において当を得た議論とならない旨が記されている。昭和期の評論にはそうした誤謬が多いようであり、ちゃんとした丸山読解がなされていないと。まぁ、兎に角、先が思いやられる 読書も株も。グゥーーーー
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