yoc1234さんのブログ
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徳川園の桜、鳥、鯉
徳川園の桜、鳥、鯉 2009年02月04日
さくら、とり、こい
徳川園の桜、鳥、鯉(さくら:子福桜)この時期昨日のかわいい季節はずれのボタンが有名ですがおなじ時期に桜も咲いています。鯉やかものいる都会とは思えない空間です。
徳川園の歴史
徳川園は、徳川御三家筆頭である、尾張藩二代藩主光友が、元禄8年(1695年)に自らの造営による隠居所である大曽根屋敷に移り住んだことを起源としています。
当時の敷地は約13万坪(約44ha)の広大さで、庭園内の泉水には16挺立の舟を浮かべたと言われています。光友の没後、この地は尾張藩家老職の成瀬、石河、渡邊三家に譲られましたが、明治22年(1889年)からは尾張徳川家の邸宅となりました。
昭和6年(1931年)、十九代当主義親から邸宅と庭園の寄付を受けた名古屋市は整備改修を行い、翌年「徳川園」が公開されました。昭和20年(1945年)に大空襲により園内の大部分を焼失した後は一般的な公園として利用されてきましたが、平成16年秋に日本庭園としてリニューアルしました。(徳川園ホームページより)
さくら、とり、こい
徳川園の桜、鳥、鯉(さくら:子福桜)この時期昨日のかわいい季節はずれのボタンが有名ですがおなじ時期に桜も咲いています。鯉やかものいる都会とは思えない空間です。
徳川園の歴史
徳川園は、徳川御三家筆頭である、尾張藩二代藩主光友が、元禄8年(1695年)に自らの造営による隠居所である大曽根屋敷に移り住んだことを起源としています。
当時の敷地は約13万坪(約44ha)の広大さで、庭園内の泉水には16挺立の舟を浮かべたと言われています。光友の没後、この地は尾張藩家老職の成瀬、石河、渡邊三家に譲られましたが、明治22年(1889年)からは尾張徳川家の邸宅となりました。
昭和6年(1931年)、十九代当主義親から邸宅と庭園の寄付を受けた名古屋市は整備改修を行い、翌年「徳川園」が公開されました。昭和20年(1945年)に大空襲により園内の大部分を焼失した後は一般的な公園として利用されてきましたが、平成16年秋に日本庭園としてリニューアルしました。(徳川園ホームページより)
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3月のお雛様の時は
何度か見に行きました~。
・・・NKも何やら春めいてますが・・・?
お雛様の時はいいですね。
桃や梅が咲いているでしょうね。
NKも春めいてきました。