例年、この7月の20日、21日と妙見寺の縁日である。
小さい頃、20日の夜、家族で、連れ立って、お参りに行く。目あては、上州名物の「焼きまんじゅう」である。これは饅頭と言っても、「あんこ」がなく、ふわふわのパンの様な、まんじゅうを焼き、それに、田楽味噌を、刷毛で塗ったものである。
遠くからでも、カーバイドで、灯の証明を付けて、その匂いが漂ってくる。同時に、田楽味噌の香ばしい、香りがするので、焼きまんじゅうを焼いていると、分るので、心が浮き浮きしてくる。
お参りは母だけに任せて、お目あての、焼きまんじゅうを、茣蓙(ござ)を、敷いた上で、食べるのですが、当時は、食べるものが少なく、とてもおいしいと思った。口の周りが味噌で、汚れるのだが、そんなことは、おかまいなしに、食べるのが、これまた、美味しかった。
途中で、田んぼには「蛍」が、その数、数万、いや数十万だろうか。飛んでいて、丁度、絨毯(じゅうたん)の様だった。この時は、田んぼが、明るくなった。
風の谷のナウシカを見た人は、最後の場面で、ウオームがナウシカを,天に持ち上げる場面があるが、この時、ナウシカは、黄色のじゅうたんの上にいるように見える。丁度、この時と同じである。
帰りは、大体来ない、兄のために、5串くらい買って帰った。もう、この時は、兄は大きくなって、関心が、無くなっていた。
妙見寺は、古い寺である。平安時代。平将門が北関東で乱を、起こした。
平将門は、今の総社神社に、本陣を構えた。対立する武将はこの、妙見寺に本陣を構えた。そして、両軍は、小さな小川を挟んで、戦った。この時に、上野の国分寺は、焼失した。そして、この小川は、血で染まったので、染谷川と言われた。今でもこの名前は残る。
妙見寺に本陣を構えた時、天から、7本の槍が降ってきた。これは勝利を意味するという吉の印だった。平将門軍はここで、敗退し、茨木のほうに引き上げた。この7本の槍は、北斗7星を意味する。
千葉周作を描いた「北斗の人」(司馬遼太郎)では、この北斗は、北斗7星であり、江戸で,北辰一刀流の、道場を開いた。北は北極星を意味している。全ての星が動くのに、動かない星、北極星に、人びとは、心もこのようにあって欲しいと願ったのだろう。この小説の中では今でも、その時の地名が残っている。引間、冷水、惣社(総社)である。