妙見様(6.7.20)13時43分

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2024/07/20 - 堅実さんの株式ブログ。タイトル:「妙見様(6.7.20)13時43分」 本文:

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妙見様(6.7.20)13時43分

堅実さん

 例年、この7月の20日、21日と妙見寺の縁日である。


小さい頃、20日の夜、家族で、連れ立って、お参りに行く。目あては、上州名物の「焼きまんじゅう」である。これは饅頭と言っても、「あんこ」がなく、ふわふわのパンの様な、まんじゅうを焼き、それに、田楽味噌を、刷毛で塗ったものである。


遠くからでも、カーバイドで、灯の証明を付けて、その匂いが漂ってくる。同時に、田楽味噌の香ばしい、香りがするので、焼きまんじゅうを焼いていると、分るので、心が浮き浮きしてくる。


 お参りは母だけに任せて、お目あての、焼きまんじゅうを、茣蓙(ござ)を、敷いた上で、食べるのですが、当時は、食べるものが少なく、とてもおいしいと思った。口の周りが味噌で、汚れるのだが、そんなことは、おかまいなしに、食べるのが、これまた、美味しかった。


 途中で、田んぼには「蛍」が、その数、数万、いや数十万だろうか。飛んでいて、丁度、絨毯(じゅうたん)の様だった。この時は、田んぼが、明るくなった。


風の谷のナウシカを見た人は、最後の場面で、ウオームがナウシカを,天に持ち上げる場面があるが、この時、ナウシカは、黄色のじゅうたんの上にいるように見える。丁度、この時と同じである。


 帰りは、大体来ない、兄のために、5串くらい買って帰った。もう、この時は、兄は大きくなって、関心が、無くなっていた。


 妙見寺は、古い寺である。平安時代。平将門が北関東で乱を、起こした。

平将門は、今の総社神社に、本陣を構えた。対立する武将はこの、妙見寺に本陣を構えた。そして、両軍は、小さな小川を挟んで、戦った。この時に、上野の国分寺は、焼失した。そして、この小川は、血で染まったので、染谷川と言われた。今でもこの名前は残る。


 妙見寺に本陣を構えた時、天から、7本の槍が降ってきた。これは勝利を意味するという吉の印だった。平将門軍はここで、敗退し、茨木のほうに引き上げた。この7本の槍は、北斗7星を意味する。


千葉周作を描いた「北斗の人」(司馬遼太郎)では、この北斗は、北斗7星であり、江戸で,北辰一刀流の、道場を開いた。北は北極星を意味している。全ての星が動くのに、動かない星、北極星に、人びとは、心もこのようにあって欲しいと願ったのだろう。この小説の中では今でも、その時の地名が残っている。引間、冷水、惣社(総社)である。



10件のコメントがあります
1~10件 / 全10件
堅実さん
tukumodayo  さんへ

「異常気象の影響でしょうか?
今年の蛍は、激減していましたね。
酷暑過ぎてか蚊も少ないですし
登山道でもマムシやヤマカガシを
見かけなくなりましたね。
最近、殿様カエルを見かけなく
なったと思ったら既に絶滅危惧種化
しておりましたね。
アメリカザリガニも農薬の影響か
見かけなくなりましたね。
山里の田んぼでは辛うじてアカハラが
頑張って棲息致しております。」

そうですねー。
蛍や、カエルや、蛇も少なくなりました。

「おじさんに、成り果てますと酷暑の夏は
もう必用無いですね。
黒介ワン子お散歩も早朝と、陽が落ちてから
しか行かれませんね。」

これは、同じです。これだけ、暑いと、外へは、出られません。

「こんな酷暑の日々ですから、ふと思い出して
インドアの趣味(鉛筆画)を午前と午後のジム
通いの合間に描いております。
まぁ~基本的に何もしない1日は空しいなぁ~と
感じますからね。インドアの趣味が見つかって
良かったと感謝致しておりますね。やれそれ。」

それでも、いろいろ、頑張って、おりますね。
わたしは、身体が、ぼろぼろなので家にいるだけです。

堅実さん
りす栗  さんへ

「夏の風物詩ですね。
都会では薄れています。」

今日20日は、夕方から22時頃まで、賑わいます。
妙見寺は、4月と7月に縁日があります。

「そもそもひとびとの関係も希薄ですねん。」

そうそう、都会は、隣がなにをしているか、わかんないですね。

「わかいひとびとは、水族館や屋内の光と映像の祭典に行くようです。
田舎には人工物にはないよさがありそうですね。」

やっぱり、自然の中の、素朴な、お祭りは、人の心が和みますね。水族館の、木がないのや、映像では、安らぎも、少ないですね。








堅実さんへ

異常気象の影響でしょうか?
今年の蛍は、激減していましたね。
酷暑過ぎてか蚊も少ないですし
登山道でもマムシやヤマカガシを
見かけなくなりましたね。
最近、殿様カエルを見かけなく
なったと思ったら既に絶滅危惧種化
しておりましたね。
アメリカザリガニも農薬の影響か
見かけなくなりましたね。
山里の田んぼでは辛うじてアカハラが
頑張って棲息致しております。
おじさんに、成り果てますと酷暑の夏は
もう必用無いですね。
黒介ワン子お散歩も早朝と、陽が落ちてから
しか行かれませんね。
こんな酷暑の日々ですから、ふと思い出して
インドアの趣味(鉛筆画)を午前と午後のジム
通いの合間に描いております。
まぁ~基本的に何もしない1日は空しいなぁ~と
感じますからね。インドアの趣味が見つかって
良かったと感謝致しておりますね。やれそれ。
りす栗さん
こんばんは。

夏の風物詩ですね。

都会では薄れています。

そもそもひとびとの関係も希薄ですねん。

わかいひとびとは、水族館や屋内の光と映像の祭典に行くようです。

田舎には人工物にはないよさがありそうですね。

堅実さん
kouboudaiasi さんへ

「口の周りが味噌で、汚れるのだが、そんなことは、おかまいなしに、食べるのが、これまた、美味しかった。
そうだったのですね~!以前にも申し上げましたが,私は昭和54年に新入社員で前橋市に飛ばされておりました。その折りに太田市の街道沿いの出店で焼きまんじゅうを買って食べた事がありました。申訳ございませんが、素朴な昔ながらの食べ物だとは思いましたが美味しいとは思いませんでした。すみません。」

そうだったですか。残念です。この焼きまんじゅうは、今でも群馬県では小さな店で、売られております。前橋でも、30店くらいあります。
子供の夫も、関西人ですが、変わったまんじゅうだと、言っておりました。

「妙見寺に本陣を構えた時、天から、7本の槍が降ってきた。これは勝利を意味するという吉の印だった。平将門軍はここで、敗退し、茨木のほうに引き上げた。
平将門は時期が悪く藤原秀郷に破れて命を落としたのが残念でなりません。」

平将門は、時の人だったですね。
昨年の病気で、入院中雑誌「歴史街道」を見ました。それによると、将門は、一族に滅ぼされたということです。
それは、将門を滅ぼせば、その者に官位を与えるという事でした。
官位は、平安時代では、貴族しか与えられていなかった身分制です。
こんな、餌につられて、将門を打ち取ったのです。
もし、この一族が、官位を無視して、将門に加わり、東国に一大勢力を築けば、鎌倉時代の歴史が、変わった、可能性があります。
一寸、残念ですね。


堅実さん
ISAY企画  さんへ

「過去の小川を思い出しましたホタルが多い多感期を思い出します。
そして的屋さんの品物を目当てにお祭りに心が躍る思いでした。」

小さい頃は、蛍が、うじゃうじゃ、いました。
的屋さんの品物は、これは、どうって、ことは、ないんですが、子供にとっては、どれも、憧れの品だったですね。

堅実さん
風車の弥吉 さんへ

「子供はお参りより、参道に並んだ的屋が目当てですね。
子供の頃甘い綿あめ、りんご飴を必ずと言っていいほど買ってもらいました。
今は、孫たちに買ってやっています。」

まあ、どこでも、同じですね。
それ以上に、大人は、何故、拝むのかと、思ってました。
綿あめ、りんご飴もよく、食べました。


何時もお世話になっております。
>口の周りが味噌で、汚れるのだが、そんなことは、おかまいなしに、食べるのが、これまた、美味しかった。
そうだったのですね~!以前にも申し上げましたが,私は昭和54年に新入社員で前橋市に飛ばされておりました。その折りに太田市の街道沿いの出店で焼きまんじゅうを買って食べた事がありました。申訳ございませんが、素朴な昔ながらの食べ物だとは思いましたが美味しいとは思いませんでした。すみません。
>妙見寺に本陣を構えた時、天から、7本の槍が降ってきた。これは勝利を意味するという吉の印だった。平将門軍はここで、敗退し、茨木のほうに引き上げた。
平将門は時期が悪く藤原秀郷に破れて命を落としたのが残念でなりません。

こんにちは。
過去の小川を思い出しましたホタルが多い多感期を思い出します。

そして的屋さんの品物を目当てにお祭りに心が躍る思いでした。
こんにちは。

子供はお参りより、参道に並んだ的屋が目当てですね。

子供の頃甘い綿あめ、りんご飴を必ずと言っていいほど買ってもらいました。

今は、孫たちに買ってやっています。


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