(今日東邦亜鉛を買いました。2年後の花咲く時を夢見て。日経平均は少しずつ切り上がってゆくだろう。2281プリマハム、2288丸大食品、順調)
今頃は、アカシアの花が咲いているだろう。甘い香りが漂う。
さて、話は1960年です。日米安全保障条約の反対運動。国会議事堂の上を、シコルスキー型の軽ヘリコプターが飛ぶ。このヘリコプターは2人乗りで、私が4歳とか5歳の頃、低空をゆっくりと飛行しているのを、何度もよく見た。周りが透明なので、運転席に、座っているのが、よく見えた。
アカシアの雨がやむときは、この頃の歌です。
アカシアの雨がやむとき 西田佐知子
https://www.youtube.com/watch?v=pggpq9fdIRA
時の総理、岸信介は、この騒乱の責任をとって、辞任した。この時の安保反対運動は、凄まじかった。歴史に残る反対運動だった。戦争に巻き込まれるというのは御免だという国民感情があった。日本全国で、「安保、反対」のデモ行進が行われた。通っている小学校の女の先生も、前橋市の街頭デモに参加した。この間3か月くらいだったろうか。日本全国で、何度も「安保反対」のデモ行進が行なわれた。
太平洋戦争の、悲惨な状況から、年月が浅いので、もう戦争は反対だという国民感情の強い時だった。今考えると、日米安全保障条約があったので、共産主義国からの、侵攻を食い止めていると、思う。
国電が止まった、都営の電車が止まった。病院の休業が、相次いだ。
首相官邸前の騒動、官邸からの放水。議事堂前の広場の、集団。この頃は、柵がなく、誰でも、気軽に議事堂の広場に入れた。この後、議事堂の周りに、柵を張り巡らしたのだ。
この時は、新左翼と呼ばれる、中核派、核丸派といった政治団体は、存在しない。自然と盛り上がった国民感情だった。そんなことで、このデモ行進を非難する人は、いなかった。右翼団体くらいか。
新左翼は、ベトナム戦争が、始まった辺りから、誕生した。それが下火になったのは、赤軍派による、内部の兵士を次第に殺しているのが、分かる辺りから、新左翼は怖いという印象で、国民からも、支持を失ってゆく。
西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」はこの頃、大ヒットした歌だ。この頃は、未だ、テレビが普及していない時代。小学校にテレビが1台あった程度。幻灯機で、映像を見たくらいだ。