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知床旅情 5年9月28日(木)15時10分

日経新聞、令和4年8月12日(金)私の履歴書、山崎努より。

 2作目の「地の涯に生きるもの」では、森繁久彌さんの即興の能力にびっくり。あの名曲「知床旅情」はこの映画の宴会シーンで森繁さんが即興で作詞作曲したものである。撮影中に久松静児監督が突然、「ここでひとつ歌が欲しいな。繁さん、何か歌え」と言った。

場面は知床の漁師の息子(僕の役)の出征を祝う宴。森繁さんは、セットのちゃぶ台に紙片を置き、エンピツで書きつけ、口ずさむ。昼食休息があり、そして出来上がったのがあの曲。森繁節で見事に歌った。

だから、あれはもともと、我が子を戦場に送る借別の曲だったのである。あの場に居会わせた人ももうほとんどいなくなったと思うので、生き証人として記しておく。(以上です)


  加藤登紀子の声を聴くと、心が落ち着く。昭和46年頃、北海道ブームで、えび族(リュックが縦に長い)、かに族(リュックが横に長い)と言われた若者が、北海道で野宿をして、安い費用の旅行を楽しんだ。テントを張らなくてもよいので、駅の待合室が、夜、ごったがえしたという。小生の友人もその一人だった。この友人は、小さなリュックで、駅で寝起きするのが、専門だった。

 

知床旅情

https://www.youtube.com/watch?v=d2fIZ5N6Za0  

 

 高度経済成長の後半で、この頃から、日米経済に貿易摩擦がでる。昭和46年は、ニクソンショックがあり、1ドル360円の、固定相場制から、現在の変動相場制に移行した年でもある。

この頃は、ベトナム戦争で、アメリカ軍と北ベトナムの共産軍が戦っていた。反戦歌(「花はどこにいった」とか、ドナドナ)がよく歌われた。


またフオークソングの全盛期でもあった。吉田拓郎が、よくコンサートをした。「人生が2度あれば」とか「東へ西へ」とかが、記憶にある。


アメリカでは、ヒッピー(現実の生活を逃避した、ドロップアウトした若者)が出現した。「ワシントン広場の夜はふけて」も、ヒッピーと関連するのだろう。この北海道ブームも、このヒッピーと、関係があると思う。


 また、学園紛争が後半に入った時でもあり、中核派、核マル派などの、新左翼と言われた共産主義運動が生まれた。赤軍派の群馬県の榛名山、軽井沢の浅間山荘事件は有名である。社会が騒然としていた。

 

また、これに反対するような、人生、スモール、スモールの風潮もあり、「赤ちょうちん」とか、「学生時代の喫茶店」「妹よ」なども歌われた。

今の時代を見ると、みん株でもそうだが、私事の、コジンマリしたブログが目立つ。これも時代だと思う。成熟した社会で、安全に生きる方法であるが、どこか物足りない。 


 ウーマンリブとか言われ、女性解放運動もあった。ボーボワール女史の「第2の性」がよく読まれた。慶応の先生、伊藤たい吉先生が、「中小企業論」の講義の中で、ボーボワール女史が慶応で講演をしたときに、あまりの迫力で、聴衆が圧倒されたと言っていた。

 

1件のコメントがあります
  • イメージ
    堅実さん
    2023/9/28 15:21
    堅実  です

    今日のブログは、盛沢山なので、圧縮するのに、苦労しました。
    ブログの、長さは長いだけが、よいのでは、ありません。
    駆け出しの、新聞記者は、記事を200字以内で、書けと言われるそうです。この言葉が、常に、頭の中にあります。

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