(株式ですが、投資資金は、順調に増えているのに、どうも喜べないんです。それは、低PBR、低PER銘柄が、押し目らしい、押し目がないのです。短期的天井は来ると思うのですが。買い増しできないのです。それと、3月は下がると予想です。新値チャートが、日足で陰線をつけました。それ以外の指標でも、やや、下るサインを出しております。)
それでは、昔の村の映画会になります。
いろいろ、思い出している中に、青年団が主催する村の映画会が、あった。それが、不思議なんですが、前橋の映画館で上映する一日前の夜だった。群馬県では、最初の映画ということになる。
「透明人間とはえ男」「有楽町で会いましょう」「こばん鮫」など、映画会の次の日に新聞の下に、映画館で上映するという広告があった。映画館の御好意か、あるいは、料金を払ったのか、もう、今となっては、分からない。
また、昔の古い映画も上映された。「赤胴鈴之助」、「マレーの寅、ハリマオ」、「風小僧」「旗本退屈男」「君の名は」年末には「大忠臣蔵」などであった。
映画会は、小学校の校庭で有り、村中の人が見に来た。観客は300名くらい。まあ老人などは、来なかった。
青年団の挨拶から始まり、映画の合間に、駐在所の警官が、群馬県公安員会からの、お知らせということで、毎回、挨拶をした。記憶に残るのは、交通事故だ、脳に損傷を受けた場合、この辺では、東大病院しか手術ができないので、くれぐれも、気を付けてくださいという事だった。その頃は、村の中に、三輪車が、3台くらいの時代だった。信号機などない。前橋でも、信号機は無かった。道路は殆ど、舗装されておらず、「砂利」さえも、まかない道路だった。
前橋でも、簡易舗装がやっとで、国道17号線の交差点では、おまわりさんが、台の上で、手で止まれ、行けの手信号だった。
小学校には、各家庭で、むしろ(稲わらで編んだ絨毯)を持参して、よい場所を陣取り、するめ(イカの干物)や、飴や、お菓子を食べながら、見たものだ。
また、別に、小さな映画会もあった。家のすぐ近くの神社での映画会だった。これは小規模で、観客は50名くらいだった。鐘紡の毛糸を糸にする映画や、稲の収穫を大きくするために、田んぼの稲の植え付け感覚を、短くした映画や、アフリカの野生動物の映画などであった。今では、テレビで、野生動物番組は、数多くあるので、珍しくないが、当時は、にしき蛇などを見て、おおきな蛇で、こういうものかと、思ったもんだ。