母は九州では女だからと言う意見で実父に社長の地位を
渡し自分は事務員が良いと言って会社を支えてました。
父は浮気を重ね結核をうつされ私達家族は結核になって
母は家庭の医学を信じて家族を守りました。
やくざと炭鉱の街は続いていて私はそれを背景に復興を
念じて経済を牽引する方法を考え鬼木勝利議員に紹介された
田中角栄議員に意見して私は祖父の司法書士の学びで開拓の道を
選ばざる得ませんでした。議員は沢山いましたが政党助成金と
献金が目的でした。私はそんな街でも人材を使い昭和の治安を
守り。建設的な意見を言って企画を建て国庫に貯める事になり
議員の中では太閤殿下と噂され母の会社の相談役にもなって街の
公害を無くす仕事から始めて求人広告を考えて祖父に尋ねながら
時代を薦め多くの会社から問い合わせが来て江副氏のリクルートに
出会う事となり年齢は離れてますがデスクを並べて時代を動かす事に
なって、ここで国庫と国会議員とリクルートの関係が出来てます。
母は若い頃はミシンを買い靴下を造って五本指の靴下を考案し
その靴下を日本軍に納めていたそうです。