政治は優先順位
安倍首相は、2012年12月26日の就任直後からアベノミクスとして「三本の矢」を掲げ、優先順位のトップに経済政策を置いた。
アベノミクスの「三本の矢」とは、戦国時代の長州(今の山口県)の大名、毛利元就が三人の息子たちに諭したという「三本の矢」にちなみ、経済政策の柱として、以下の3つを掲げたものだ。
1、大胆な金融政策
2、機動的な財政政策
3、民間投資を喚起する成長戦略
1の金融政策は日銀が担当する。大胆な金融政策とは、日銀総裁自らが異次元と呼ぶ無制限の量的緩和を通じて、円高の是正と、2%のインフレ目標を達成するものだ。
量的緩和とは、中央銀行が金融商品などを購入することにより、市場に資金を供給するものだ。日銀は後に購入商品の種類や年限を広げることで、これを量的質的緩和と呼んだ。
一方、本来の質的緩和を意味する利下げは、それまで政策金利と呼ばれてはいたものの、ほぼゼロ金利が続き、もはや緩和の余地がなくなっていた銀行間翌日物無担保金利の誘導目標をなくしたため、2013年4月から2016年1月までは政策金利がない状態が続いていた。そして、同月に金融機関が日銀に預ける当座預金の金利をマイナスとすることで、政策金利とした。
2の財政政策は、政府の財規規模が過去最大を更新し続けていることが示唆する通り、機動的かどうかはともかく、大量の資金は使っている。
3の成長戦略は、「日本を再生する」、「一億総活躍」、「女性が輝く日本」などの掛け声のもと、企業に数値目標を与えることで、達成を試みている。
毛利元就の「三本の矢」は、矢が一本ずつでは簡単に折れてしまうが、三本束ねることにより、折れない強力なものになると、三人の息子たちに協力し合うように諭したものだ。
では、アベノミクスの「三本の矢」はどうか?
1の金融政策における日銀は暴走気味で、財務省が抱える膨大な借金を自らが買い取ることで、国債市場を歪めている。また、マイナス金利政策では短期金利市場を機能不全にし、長期安定運用の柱となるべき国債の利回りが10年国債までマイナスとなるなどの他、貸借市場を含め、金融市場や金融機関が到底「安全、安定」で長期間維持できない政策を採っている。
加えて、株価ETFの買い入れでは、225企業の9割で日銀が既に10位以内の大株主となっており、いくつかの企業では近いうちに筆頭株主になる見込みとだという。
そして、黒田総裁は金融政策の効果を過信してか、財政に対しては増税という引き締め政策を促している。
2の財政政策は、経済再建を優先するならば、減税が基本中の基本だ。ところが、消費税率を2014年4月に8%に引き上げ後、経済が明らかに減速しているにも関わらず、2017年4月の10%への再増税の既定路線を変えていない。
つまり、景気拡大策で暴走気味の金融政策を見捨てて、財政政策は景気減速に向けて引き締めの度合を強めている。
3の民間投資を喚起する成長戦略は、本来ならば規制緩和を通じて、民間の活力を高めることが重要だ。ところが、政府は企業や民間に数値目標を掲げてお願いするばかりで、政府自身ができる「減税や規制緩和」をやろうとしない。
アベノミクスの「三本の矢」は、それぞれの一本一本が、同じ目標に向けて協力し合っているとは到底思えない。その結果は無残なものだ。日銀の副作用の激烈な、次元を超えた未曽有のリスク・テイクにも関わらず、主たる目的のインフレ率は未だにデフレ環境のままだ。先行きもおぼつかない。安倍首相も黒田総裁も民間ならば、少なくとも外資系民間企業ならば、とうに首が飛んでいる。
毛利元就は天下を取れなかった。安倍晋三は天下の総理大臣となった。それで、安倍首相は「三本の矢」の教えをないがしろにし始めたのだろうか?
政治は優先順位だ。アベノミクスが失敗したのは、安倍首相にとっての日本経済の先行きが、最優先課題ではなくなったからだ。では何が経済再生よりも大事なのか? 憲法改正だろう。安全保障と憲法とを経済再生より上に置いたために、「三本の矢」は様々な圧力に対しての譲歩を余儀なくされた。欲が弱みとなったのだ。安倍首相の真意を好意的に推測すれば、そのように見える。
何が国を守るか?
私の父は52歳で死んだ。予科練11甲飛出の零戦乗りで、死ぬまで戦闘機や、海軍魂の話をしていた。その後の人生の方がはるかに長いのに、本人にとっては人生最大の出来事だったのだろう。63歳で死んだ姉は少なくとも一時、反戦活動をしていた。共に、胃癌だった。
父が子供の頃の私に行った教えは3つだけ。2つだったと長いこと思っていたが、そう言えば、もう1つあったと思いだした。「時間厳守」、「犠牲的精神」、「兄弟仲良く」だ。3つ目は、2年前に姉が死んでから思い出した。
「時間厳守」と「犠牲的精神」は、全く別物のように聞こえるが、そうではない。時間を守ることは、相手の時間を大事にすることだからだ。言葉では何でも言える。相手の時間を貴重なものと思っているならば、相手のことを大事に思っているならば、人は時間に遅れない。大袈裟に言うと、そうなる。
私も、学校や会社などは随分遅れたが、人との待ち合わせでは、遅れた時を1つ1つ覚えている位だ。遅れないようにするには、早く着きすぎるしかない。自分の時間を犠牲にしないと、時間厳守はできない。
とはいえ、「犠牲的精神」の教えは、難しい。自分より人を優先できるかと言うと、未だに自信がない。もっとも、若い頃から死に方については考えてきて、誰かのお役に立てて、かつ残された身内が納得できる死に方ができればと考えている。しかし、これは自分を含め、人が決めることではない。
「兄弟仲良く」は、毛利元就の「三本の矢」に近い。親は先に死ぬから、親孝行などは考えなくていい。親が死んだ後は、兄弟が残るから、仲良くして助け合えと教えてくれた。今なら「私自身の家族と兄弟」仲良くと言っただろう。
私は何よりも、子供たちと、その家族を守りたい。その意味で、安倍首相が最優先課題としているように思える、安全保障や憲法にも関心はある。
では、何が本当に国や国民を守るのか?
2015年の世界の国防費は、1位が米国で5960億ドル、2位が中国で2150億ドル、3位がサウジアラビアの872億ドル、4位がロシアの664億ドル、5位が英国で555億ドルとなっている。日本は8位で409億ドルだ。
ところが、トランプ氏の「日本はタダ乗り」発言に触発されたウォールストリート・ジャーナルの調べでは、日本は極東米軍に対して約378億ドルの負担を行っている。とはいえ、現状の仮想敵国としている中国には、はるかに及ばない。
だからこそ日米安全保障条約が重要なのか? という問いへの答えは、何十年も戦争の経験がない、いわゆる識者の見解よりも、NHKテレビの大河ドラマ「真田丸」の方が、よほど参考になる。1つの歴史ドラマに限らず、日本や世界の歴史の教えの方が、米国や中国の思惑を語ってくれる人々の意見より参考になるのだ。結論を言えば、米国は、米国にとって利益となる限りにおいて、日本を守る。このことは、日本を守らない可能性を排除できないどころか、いつの日にか、日本を攻撃する可能性もあるということだ。残念ながら、これが歴史の真実だ。
では、日本が独自に国を守る力をつければよいではないか? 中国や、あるいは米国相手に? 軍事力の規模からすると途方もないようだが、その方が、他国に頼るよりは現実的な国防なのだ。そのためには、強い「経済」が必要なのだ。
国を守る力は軍事力だけではない。むしろ、軍事力はその1部でしかないと言える。報道を見ていると、中国は仮想敵国となっている。しかし、実際の中国人たちは日本に来て、日本の製品を喜んで買って帰る。このことは、日本がより良いものをつくることの方が、平和に貢献することを意味しないか?
戦争すれば人が死ぬが、まだ戦争を始めていない日本で、経済的な貧困のために多くの人々が死につつある。安倍首相は政治の優先順位を見失ったように思えてならない。
民を信じない官の国に未来はない
そもそも、現在における官とは誰か? 民のなかから、たまたま選択したり、選択されたりして官になっただけではないか? そして官となれば、増税で民を苦しめ、規制や税源で民を振り回し、それでいて増税で得た資金をうまく使えずに、更に民を苦しめる。
安倍首相は初心に帰るべきだ。アベノミクスの「三本の矢」の、金融政策は引返せないところまで飛んでいる。財政政策と規制緩和による成長がなければ、すべての矢が折れる。
今の政府と官庁がなすべきことは、民を信じて減税を行うことだ。それが、個人消費拡大、景気拡大を通じて税収を増やし、ひいては財政再建にもつながると言える。
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