死に場所を選ぶということ

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2008/09/01 - 八歩さんの株式ブログ。タイトル:「死に場所を選ぶということ」 本文:死に場所を選ぶということ ■介護は死と向き合う仕事 高齢者介護の仕事は、死ということを意識する仕事です。 50人の入居者がいれば、平均で2人くらいは、入院しています。

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死に場所を選ぶということ

八歩さん
八歩さん

死に場所を選ぶということ

■介護は死と向き合う仕事

高齢者介護の仕事は、死ということを意識する仕事です。

50人の入居者がいれば、平均で2人くらいは、入院しています。
そして、毎年、2人くらいが亡くなります。

これは私の経験的な数字に過ぎず、季節の変わり目には、集団食中毒でもないのに、急に5人くらい入院することもありますし、次々に亡くなり、一年で6,7人が入れ替わることもありました。

入院から戻って来る方は、それまでは杖をついて歩いていたひとが、車椅子になったりします。
そのときに、また、歩きたいという強い意思をご本人が持たない限り、二度と自分の足で歩くことはできないのです。

在宅介護であれば、家族が励まして、少しづつ歩く練習をするのかもしれませんが、施設では、ご本人が歩行訓練を拒否されて、ご家族も「本人がいいっていうのなら、そうしてあげてください」といわれることがほとんどです。

こうして、寝たきりに近づいていきます。一段と、死に近づいたと思いますが、どうしようもありません。
少しでも、穏やかに暮らしていただこうと、思うだけです。


■ある看取り

男性の入居者のことを思い出しました。

非常に進行の遅い癌の患者さんですが、在宅介護は無理ということで、施設で預かったことがあります。

実際には、寝たきりで、ほとんど意識もなく、手のかからない入居者でした。

お元気だった頃から、家族には、「病院で医療漬けになりたくない、静かに死なせて欲しい」と言っていたといいます。
しかし、自宅では、静かに死んでいってもらうだけの体勢が取れなかったのです。

具体的なことはここでは触れませんが、入居前にご家族から詳しく事情をおききしていますから、施設で看取るということを決めました。

もうすぐ90歳になるという男性でした。

こういうケースでの老人ホーム入居は、この方だけではありません。



■医師から聞いたこと

こういう、死を前提とした入居者が入ると、看護士や提携クリニックのドクターにかかる負荷はおおきくなります。介護保険がはじまる前は、老人ホームで看取ると、数十万円の金銭をつつむのが普通で、それを、ご苦労の代償としてスタッフで分けていたと聞きますが、それは十年以上前のことでしょう。最近では聞いたことがありません。

この看取りのときにドクターから、「病院で看取るのに比べると、施設や在宅で看取るほうが、焦燥感が少ないんですよ」ということを聞いたことがあります。

といいますのも、病院では、24時間の医療行為が可能なだけに、つい過剰な医療行為を行うからだといいます。

病院という環境が、在宅や施設に比べ、遥かに容易にいろんな検査や治療が出来るからです。「何かをしないといけない」という思いと、それが病院の事業を支えているというソロバン・・・・

果たしてそれでいいのだろうかと思いつつ・・・ 

その点、老人ホームは、医療機関ではありませんから、24時間の医療行為が必要な人は入居できません。

せいぜい、亡くなるしばらく前から、なるべくご本人が苦しまなくていいように、点滴、水分補給、清拭、痰の除去などの体勢をとるだけです。

日本人の大体数の人が、「できれば最期の時間を自宅で過ごしたい」と考えています。
そのことは医師もよく理解しています。

「医療行為をすることによってではなく、施設や在宅で普通に死んでいくことをサポートすることに、私は意味を見つけてるんですよ」といわれました。




■どこで最後を迎えますか

在宅で最後を迎えるということは、今の住宅事情、共働きの事情ではきわめて難しいといえます。

では、多くの高齢者が死の前の数ヶ月を過ごす場所は? 

というと、適当な受け皿がないのが実情です。

・病院が、医療行為は少ないが、しばらく置いてくれるケース。
・老人ホームが、がんばって、医師、看護士と家族の協力を得て、死を迎えてもらうケース。
・居場所がなくて、在宅に戻り、家族が歯を食いしばって看取るケース。

死ぬのも容易ではありません。

患者さん自身や家族にとって、自宅で迎える最期には他には代え難い価値があると思います。

在宅で看取られることが自然である、というようになるといいと思います。

在宅での"看取り"は、医師にとっても、優しく自然でやりがいを感じられるものだと思います。

在宅看取りのための支援制度を、介護保険と医療保険の両方が折半して、支えていけたらいいと思います。

しかし、今は主幹が異なりますからお互いに押し付けあうと思います。




■提言といえるほどにはまとまっていませんが



国は,公的な支援さえ充実すれば在宅での看取りを増やせる、としていますが,それはあくまで家族の負担を多少減らすだけでです。

人ひとりが死ぬまでのプロセスを簡略化できるわけではありません。

24時間体制の在宅療養支援診療所も訪問看護ステーションもぜんぜん足りませんし、足りないままに見切り発車すると、その部分の担い手の医師や看護士がいなくなります。

医療も介護も、現場の人のボランティア精神だけを期待するような今の国の考え方では成り立たないと思います。

自宅で看取るということの実態を、国民がきちんと認識しないままに制度だけが移行するとしたら・・・・在宅での不幸な死と、その後の傷ついた家族を増やす結果につながると思うのです。

まずすべきことは・・・・・介護保険と医療保険の一本化だと私は思います。

利権がらみで反対する人がいると思いますが、保険料を支払っている私たちは、一本化されることに何の不都合も感じません。

普通の死が難しいんですね。

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