1980年代のイギリスでマーガレット・サッチャー政権によって推し進められた経済政策
第二次世界大戦後のイギリスでは、ジョン・メイナード・ケインズの有効需要の法則やアーサー・セシル・ピグーの厚生経済学などに基づく福祉政策が採られてきた。
これはアダム・スミス、デイヴィッド・リカードの古典派経済学やアルフレッド・マーシャルの新古典派経済学の理論が大恐慌によって破綻し、ケインズの「一般理論」がアメリカ合衆国のニューディール政策などで有効であることが証明され「レッセ・フェール」に修正を加える必要があると考えられたからである。
いわゆる「ゆりかごから墓場まで」と言われる高福祉政策であり混合経済である。
しかし、規制や産業の国営化などによる産業保護政策はイギリスの国際競争力を低下させ、経済成長を停滞させることになった。また、スタグフレーションが発生し、フィリップス曲線の崩壊など、政策ほころびが経済学的にも指摘されるようになった。いわゆる「英国病」と呼ばれるものである。
これらの政策は主に労働党政権によって推し進められてきたものであるが、1978年にマーガレット・サッチャーを首班とする保守党政権が誕生すると、20世紀以後に継続されてきた高福祉の社会保障政策、社会保障支出の拡大を継続するとともに、国営の水道、電気、ガス、通信、鉄道、航空などの事業を民営化し、民営化分の政府部門の経済を削減する政策に転換した。
サッチャー政権の経済政策は、20世紀以後に継続されてきた高福祉の社会保障政策、社会保障支出の拡大を継続するとともに、国営の水道、電気、ガス、通信、鉄道、航空などの事業民営化と経済に対する規制緩和により、社会保障支出の拡大による政府支出の拡大をしながら、他の分野では民営化と規制緩和を進めて、政府の機能を削減したことである。
フリードリヒ・ハイエクに傾倒していたサッチャーは新自由主義に基づき、官営であった電気、水道、ガスといったパブリックセクターと空港、航空とといった大規模産業を民営化した。それまでロンドンのシティが牛耳っていた金融部門も規制緩和によって外国資本の参入を認めた。
いわゆるビッグバン政策であるが、この政策により市場を外国資本に奪われ、国内企業が競争に敗れるという結果を招いた。そのためウィンブルドン現象とも言われる事態が発生した。また所得税減税を進める一方で、付加価値税(消費税)を増税し国民に勤勉と倹約と促した。
しかしこれは付加価値税には逆進性があるため高所得者層に有利に低所得者層には不利に働いた。
インフレ抑制のために金利引き上げを行った(失業率が上がったためにリフレーション政策に転換した)。
雇用面においては、賃金が下がり、失業率も上がり、国民の中に大きな批判が起こった。
伝統的な高福祉の社会保障政策を維持しながら、経済の拡大、競争力の強化、失業率の低下、労働者の所得の増大、財政収支の黒字化などを同時に成り立たせることが困難で、それを達成できず、人頭税導入において国民の不満が増大し、支持率が低下し、サッチャー首相は辞職した。
サッチャー政権の政策は次のジョン・メージャー政権にも引き継がれ経済成長を続けていたが、政府の財政赤字は解決しなかった。
その後1992年のポンド危機により一旦下落するものの、通貨安による好調な輸出も相まって1993〜1994年と順調な拡大を続けたが、18年に及ぶ保守党への不満により「第三の道」を標榜するトニー・ブレア率いる労働党への政権交代を招くことになった。