こころのじだい、歎異抄(たんにしょう)を見る。
第三条は、悪人正機説を明快に説いたものとして、「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」は現在でもよく引用されている。詳細は、悪人正機を参照のこと。(ウイキより)これは教科書には必ず出てくる箇所である。
しかし、ここは難しくて、いまだに解からない。善人とは何か。おそらく、空海や最澄の様に、仏道の教えがよく分かり、それを実践している人を指すのであろう。よくわかり、直に、仏道に励んでいる人を、一例として、上げてみた。
悪人とは、善人にはなれない、その他、大勢の人々であろう。悟る事も出来ない、常に煩悩に煩わされる人々である。
そして、それなら、もう諦めようと、半ば、ふてくされた心の状態であろう。そんな人に、阿弥陀仏は、救いの手を差し伸べる。もう、この世では、どうにもならない、苦悩で悩んでいる人に極楽浄土への道を、案内してくれるという。
みん株を見ていても、喜怒哀楽のブログばかり。このような人々にも、阿弥陀様は、救いの手を差し伸べる。更には、救いなど、もういらないや、地獄に行けば、それでいいんだと、いう人にも、救いの手を、差し出すという。
鎌倉時代は、武士が台頭した。武士は人を殺す。また、猟師は、生き物を殺す、漁師は、魚を殺す。遊女は、生きるために、見を売って、それで、生活をする。そのような人にも、阿弥陀様は、救いの手を差し出すという。
ただ、信じようが、信じまいが、それは、どちらでもよい。ただ「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ・なむあみだぶつ)と、唱えれば、それだけで、人は極楽へと行けるという。