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「生命は」 -自己完結できない-  

 先日、たまさん(「人生のセイムスケール」の玉川和正氏)のBBSで素晴らしい詩を教えてもらった。

 詩人の名前は吉野弘氏、題名は「生命は」です。


「生命は」     吉野弘

生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする

生命はすべて
そのなかに欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も あるとき
誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない



 全体が大きな構えでゆるぎない詩。地球上の生命の営みを歌って、生物学の知見を理屈に偏さず、立派な大きな詩にしていて素晴らしい。
 もっと大昔、ペルシャの11,2世紀の科学者にして詩人、オマル・ハイヤームももっともっと大きい宇宙規模の発想の詩を書き、フランス語や英語に訳されて世界中で愛されている。彼の詩にも「生命の欠如(不足)の概念」と「輪廻観」が繰り返し表現されている。その一節です。(訳詩=小川亮作)

創造主が万物の形をつくりだしたそのとき、
なぜとじこめたのであろう、滅亡と不足のなかに?
せっかく美しい形をこわすのかわからない、
もしまた美しくなかったらそれは誰の罪?
(ルバイヤート11節)

来ては行くだけでなんの甲斐があろう?
この玉の緒の切れ目はいったいどこであろう?
罪もなく輪廻の環の中につながれ、
身を燃やして灰となる煙はどこであろう?
(同18節)


良寛さんも同じような発想なのでしょう。良寛さんらしくもっと素直に、花と虫の歌を歌っています。

花無心招蝶
蝶無心尋花
花開時蝶来
蝶来時花開
吾亦不知吾
不知従帝則

(解釈、田中和雄氏の「良寛さんのうた」より)
花が咲いて
蝶がくる
蝶が来て花が咲く
花は、無心
蝶は、無心

わたしは、わたし
ひと、は、ひと
わたしがいて
ひとがいる

自然の、こころ
こころのない、こころ


 わが国伝統の短歌、俳句にも、生命のある一断面をスパッと切り取ったいい歌はいくらでも見つけられます。吉野弘やオマル・ハイヤ-ムが長編詩なら、こちらは超短編詩群です。生命の欠如を満たそうとする生き物達の営みをいろんな角度から歌っていて飽きません。

千年杉死者に生者に花降らす    藤井 亘
花粉とぶ季節と云へり杉木群(コムラ)凄まじき生殖の思ひ遂ゐむ   朝井万砂子
→ スギ花粉に苦しめられている方も、どうか深い意味をおくみとりください。

さくらばな花体を解きて人のふむこまかき砂利に交じりけるかも   岡本かの子
→ せっかく美しい形に作られた花は、こうして粉々になって、次に生まれ来る者たちの養分になる。やはり輪廻転生の思想が下地に感じられます。単純に「もののあはれ」と一くくりにして鑑賞しない方がよさそう。

ヘリオトロープ咲き極まりて強き香を    古川芋蔓
蝶惑ふヘリオトロープ低きあたり    木村恊子
→ ヘリオトロープは自分の欠如を甘い香りで補ってもらおうとしている。誘われた蝶は何を惑っているの? 据え膳ですよ!

てふてふの相逢いにけりよそよそし    村上鬼城
日盛りに蝶のふれ合う音すなり    松瀬青々
蝶の羽のこまかくふるへ交わりけり    室生犀星


ひなげしの蜂来れば揺れ去ればゆれ    式部野蓼
→ 自然を歌っているけれど、ひなげしは恋愛体質?の女性のイメージ。

蜂のみの知る香放てり枇杷の花    右城墓石
→びわの花は地味な花だけれど…。

ハート型の二匹のトンボ (MatsumaRoomさんより借用しました)


赤蜻蛉探し求めて弾き合ふ    殿村菟絲子
糸蜻蛉弓なりといふ愛しかた     中原通夫
→ 以前、何回かこのBlogでご紹介したことのある「ファブリックアートBOX」の浅野小夜子さんはハート型に強い関心をお持ちだ。こんな蜻蛉の写真があることをお知らせしなきゃ。(笑) これは独り笑い。

大虻を吸ひしカンナの燃上がり    上野 泰
→ 「生命は」でも、虻がでてきた。カンナは明治期に渡来した夏に咲く花。伝統的な歳時記の季語には載ってない。「虻」と「カンナ」と「燃え上がり」で、伝統的な「花」と「蝶」の類型化を破って発想も十分新しい。



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